topへ
ふと何気なくとりだした、たった一枚の10円玉。
気が付くと、そのコインを手の上で転がしていた。
そのようにして遊んでいると手を遠ざけるにつれ、
そのコインの輪郭は徐々に曖昧になっていった。
そう、私は近眼である。
私の手の中で転がる10円玉は凹凸がなくなっていき、
うっすらとしか凹凸が認識できないそのコインは
いつしか私の知る10円玉ではなくなってしまっていた。
”茶色のコイン”
なんとなく外貨に見えてきた。
すると、そのコインが無性に手放したくなくなってしまった。
”このコインはどこから来たんだろう・・・・”
紛れもなく、人から人へと手渡されてここにやってきたのだ。
もしかしたら、外国に旅行して再び戻ってきたかもしれない。
”こいつは私より世界を見てきているかもしれない。”
また、この世の中を支えている労働者を救ったかもしれない。
いやいや、労働者を見捨てたかもしれない。
もって生まれた10円の価値のために
人を殺めたかもしれない。
飢えで苦しんでいる世界中の人々の糧のために使われて
ここにやってきたのかもしれないのだ。
”手垢のべっとり染み付いた茶色のコイン”
コイン1枚とってみても、それぞれの歴史があるのだ。
10円玉は10円の価値しかない。
しかし、簡単にそう言い切れるのか?
もちろん、外国に持ち出されれば、換金されないかぎり、
そのコインの価値は全くなくなってしまう。
だが、その10円玉には無限大の冒険の可能性を秘めている。
多くがモデルチェンジかその貨幣の廃止が行われるまで・・
ずっと後世まで引き継がれるのだ。
それは人間の幸福のために使われ、
人間のよろこんでいる様子を静かに見て、
または、人間の愚かさと醜さをも
黙って見ていく・・
なにか必死に語りかけている10円玉。
そんな10円玉に大切なことを教えられたような気がした。