「お金」について・・・前回は小額のイメージでcoinとしました。英文字を有形のイメージで区分けしました。御了承ください。
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お金についての解説(coinの続編)
お金の魔力に驚かされることがあります。
考えていくうちに一つの疑問にぶち当たりました。
お金にとって資本主義とは何なのだろうか?
喜ぶべき主義なのだろうか?
はたまた、懸念されるべき主義なのだろうか?
喜ぶべき主義の見方で言うと
「なにか必死に語りかけているcoin・・・」
「手垢のべっとりついたcoin・・・・」
そんなcoinを活気づけているのは資本主義です。
お金が多く使われることに価値を見出せれば、
喜ぶべきでしょう。
しかし、果たして有用的に、合理的に使われたかどうかに
価値を見出すとなれば、話は別です。
無駄に使われたのなら、coinはさぞかし泣くでしょう。
では、資本主義について考えてみます。
資本主義は儲けの概念の上に成り立つのはご存知でしょう。、
企業が客からの信用・ニーズを得ようと努力し競争するから、
そのため必要以上に品物を仕入れ、モデルチェンジをする。
儲けとは裏腹にどこかで「無駄となる」犠牲が孕んでいます。
そうした社会が「資本主義の社会」なのです。
私達、日本の形態も資本主義が取り入れられていますが
昔、「消費は美徳」という言葉を聞いた方もいるかと思います。
物をどんどん買いなさいと謳っていたのでした。
そんな資本主義の無駄について聞いた話があります。
ある店に働いていた時の話ですが、廃棄合計の金額が
何十万(店の売上にもよりますが)でないと、
客のニーズが満たされてないと判断されるようです。
それは、まさに無駄を中心とした考え。
今はそういう時代なのでしょうか?
客、いや人間の気まぐれのために
一体どれだけの物品が無駄になっているのでしょうか
飢えで苦しむ世界中の人々の糧のために使われた経歴がある
coinやbill、そんな手垢の汚れたお金は無駄に使う私達を
嘲笑っているかもしれません。。
しかし、皮肉なことに資本主義を支えているのはお金であり、
資本主義においてお金の流通が活発になればなるほど、
無駄も増えるということになります。
また、逆に無駄が増えれば、お金の流通も活発になる
とも言えます。
お金にとって資本主義とは何なのだろうか?
私にはわかりません・・・
この「coin」のエッセイにおいて、あたかもmoneyに
心があるかのように書きました。
しかし、本当にそうであるかのように思えることがあります。
お金は所詮、人の創った物です。
しかし、創り主である人間を操っているようにみえるのは
私だけでしょうか・・・
また、お金のほうが人間より地位が上のようにみえるのは
私だけでしょうか・・・・
お金が人を救い、お金が人をダメにする。
行為の主体は確かに人である。間違いないでしょう。
人の手の中でお金は動かされるものだから・・・
しかし、人の行為はお金に影響されることが多いことも事実です。
プレゼントの値段で気持ちをはかることもあるし、
報酬(給料)ひとつで人の人生まで変えてしまいます。
まるで、お金に意志があるかのように・・・
無意識のうちに、お金に操られている人間・・・
お金とは恐ろしいものですね。
完